すごく感銘を受けた本があったので、今日はその紹介をしたいと思います(*^^*)
『反省させると犯罪者になります』岡本茂樹 著
実感。少年院に入ると反省文がうまくなる
『反省させると犯罪者になります』ショッキングなタイトルですよね。
昔の職場にいた時、少年院の子たちの反省文を読んだことがあります。
これが、すごく上手なんです。
字も丁寧だし、内容もしっかりしています。
「被害者に対して申しわけない。親や周囲の人にも迷惑をかけてしまった。もう二度としないと誓います。」
少年院に何度も入っている子は、反省文がすごく上手です。
すごく上手だけど。犯罪を止める方向には、全然働いていません。
反省文がうまくても、犯罪者の更生にはならない。
そういうことを思い出して、この本にビビっと来ました。
犯罪者ってどんな人?
犯罪者って、自分とは全然違うところにいる人と思いがちですが、どの人にも子ども時代があり、学校で一緒にすごした人かもしれません。
自分の子どもの同級生がそうなるかもしれません。自分の子がそうなることもあるかもしれません。
痴漢やDVのことを考えると、警察に捕まっていなくても、犯罪行為を行っている人はごく近くにいるかもしれません。
犯罪者のことを考えるのは、今はまだ「いわゆる犯罪者」ではないかもしれないけれど、自分のごく近くにいる可能性があるからです。
著者はどんな人?
著者は、臨床教育学者として大学で授業を行うほか、刑務所で外部支援者として犯罪者の更生に関わってきました。
刑務所で、受刑者に個人面接をしたり、更生のためのプログラムをつくって授業をしていたそうです。
その中で、彼らを更生させるためには、また、犯罪に至る前の問題行動を犯罪に進ませないようにするには、「反省させてはいけない」ということに行きついたということなのです。
なぜ反省させちゃいけないの?
著者がいう「反省させる」というのは、
「被害者のことを考えさせる。自分が迷惑をかけた人のことを考えさせる。」
という当たり前のようなプロセスです。
なぜそれがいけないか。
著者はこう主張します。
(第2章 「反省文」は抑圧を生む危ない方法 より要約)
問題行動を起こしたら、「すみません、ごめんなさい」と謝罪して、二度と過ちを犯さないことを誓う。「りっぱな反省文」を読めば誰もが納得するからです。
これが学校現場だけでなく、家庭でも社会でも普通に行われてきた方法なのです。
しかし、反省させるだけだと、なぜ自分が問題を起こしたのか考えることになりません。
言い換えれば、反省は自分の内面と向き合う機会(チャンス)を奪っているのです。
問題を起こすに至るには、必ずその人なりの『理由』があります。
その理由にじっくり耳を傾けることにによって、その人は次第に自分の内面の問題に気づくことになるのです。
この場合の「内面の問題に気づく」ための方法は、「相手のことを考えること」ではありません。
寂しさやストレスといった否定的感情が外に出ないと、その「しんどさ」はさらに抑圧されていき、最後に爆発、すなわち犯罪行為に至るのです。
このように考えると、大げさかもしれませんが、今実際に学校現場で行われている生徒指導が「犯罪者」を作っている可能性もあります。
しかし学校現場では、依然として、「問題行動→反省→固い決意→指導終了」という流れになっています。
そして、この流れは、犯罪を起こした受刑者に対する指導にも当てはまります。
どうやって内面の問題に気づかせる?
著者は、どうやって受刑者や問題を起こした人に「内面の問題に気づく」ようにしたのか。
・何度も面接をして、過去を振り返る。
・ロールレタリング(架空の形で「私から相手へ」の手紙や、ときには「相手から自分へ」の手紙を書いたりする)で言いたかったことを言ってみる。
・エンプティチェアテクニック(目の前に椅子を置いて、その椅子に相手が座っていると想像する)という技法を使って、当時言えなかった言葉を言ってみる。
・グループワークで、ほかの人の犯罪に至ったケースを取り上げ、感想を言い合う。
などのことを行ったそうです。
被害者や裁判に対する不満や否定的感情。
親や教師へ言いたかったこと。
そういった否定的感情を吐き出すこと、それが出発点となると著者は主張します。
受刑者が、自分の悲しかった過去を吐き出した後、被害者のことを考えるようになるのはけっして珍しいことではありません。
否、ほとんどの受刑者がこの過程を辿っています。
実は、これこそ、本当の反省への通じる流れなのです。
(第3章 被害者の心情を考えさせると逆効果 より引用)
また、著者は、「男性の受刑者は、ほぼ100%と言っていいくらい、『男は強くなければならない』『男は勝たなければならない』という考え方を根強く持っています。」
「『男らしく』生きることによって、男性は苦しさや辛さを表現できずに抑圧していきます。」と書いていて、男性に対する「男らしさ」の呪縛があることを指摘しています。
受刑者同士のグループワークで、「強くて格好よくなければいけないと思っていた。」「逃げたり断ったりしたら、格好悪いと思った。仲間からはずされると思った。」などと、弱い自分を出して、本音を話し合える時間を共有できることがあるそうです。
そのような経験を経て、人と本当の気持ちを共有する喜びを知り、「人は人に頼って生きていく」という考えを身につける。
すると、「人」の存在の重要性に気づくことが期待できるということでした。
大切にされる経験
著者は、こうも言います。
自分の心の傷に気づいていない受刑者が被害者の心の痛みなど理解できるはずがありません。
どの時点で受刑者は寂しさや悲しみを持つようになったのか。また、そうした感情をどのようにして閉じ込めたのかを見ていかないといけないのです。
自分の心の中にあった否定的感情を吐き出し、それを支援者に受け止められることによって、受刑者は、心の傷が癒され「大切にされる体験」をします。「大切にされた経験」に乏しかった受刑者が、支援者によって大切にされることによって、罪に向き合えるのです。
まとめ
本のタイトルはショッキングな感じですが、内容は、人への愛にあふれたものを感じました。
実は、著者は、2015年に亡くなっています。
私は著者の考えにすごく共感したので、とても残念です。
著者の主張のように、刑務所や少年院、教育の現場が「反省させること」から離れていってほしいなと思います。
社会全体が、「強い人がいい。ひとりでも強く生きていける力をつける。」という価値観から、「弱いままで受け入れられる。自分のつらさを話せる。周りの人に頼り頼られながら生きていくのを目指す。」というように変わっていってほしいと思っています。
お読みいただきありがとうございました(*^^*)