あけましておめでとうございます。
ブログを始めて1年ちょっと。今年も続けていこうと思います(^^)
昨年末、講演を聞きに行って、とっても大事だな!ということを聞いたので、今日はそのことを。
アン・クレシーニさん
講演してくれたのは、アン・クレシーニさん。
日本に来て20年以上。
和製英語についての著書もあり、その話もとても面白かったのですが。
「これは人と接するとき全部に通じること!」と思ったのが、「世界観」についての話。
世界観
アンさん、日本のことを勉強して、日本の言葉も理解した、日本の文化も理解した、と思っていた。
でも、日本でできた親友の女性としばしばぶつかる。
そのひとつが、
アンさん、「いただきます、は、let's eat」でしょ。
親友のマキコさん、「いただきます、は、命をいただくということ」。
動物、植物、その食べ物を作ってくれた人、運んでくれた人、食事を出してくれた人、すべてに感謝することだよ、と伝えたそうです。
たしかに、私も、「いただきます」って、そういうものを含んだもの、という認識です。
小さいころ、「お百姓さんが一生懸命作ってくれたお米なんだから、一粒も残しちゃだめ」みたいなことを同時に言われたような。
普段は意識しないけど、そういうものだという前提があると思います。
アンさん、日本の言葉、文化のことを理解したと思っていたけど、日本の「世界観」を理解していなかったと気づいたそうです。
この話を聞いて、これは私が別の本で読んだのですが、
探偵というと、日本で生活してきた多くの人は、シャーロック・ホームズ、イギリスの紳士みたいな格好を思い浮かべませんか。
ベージュのコートで裏地かどこかがチェックで、なんか丸めの帽子をかぶって、みたいな。
探偵のコスプレ、と言われたら、そういう格好を用意するかなと。
ついでに、そういう格好を見ると、学校の図書室でシャーロック・ホームズシリーズ読んだよなーとか、ついでに怪人二十面相とか少年探偵団とか、少年探偵団のちょっと不気味な表紙とか思い出して、少年探偵団、今の子も読むのかなーっていう疑問とか、そういうもろもろまで含んでの「探偵」という言葉な感じです。
これが、今のイギリスでは全然ピンとこないという話を読みました。
「探偵」といえば、ベネディクト・カンバーバッチ主演のリメイク版「シャーロック」。
モダンで今風のスーツを着て、アクションをこなす。飲み物はスターバックスのコーヒー。
全然違いますね。
「いただきます」と言って手を合わせるという言葉や文化(行動様式)は目に見えている氷山の一角で、その下には、広大な記憶とそれらに基づく前提が存在している。
「探偵」という言葉が想像させるイメージが全く違うこともある。
その、普段は言語化されないもの、言葉や行動の前提になっているものが「世界観」なのかなと思いました。
理解する
相手の話を聞く、相手を理解するとは、その相手も意識しているか分からない前提や言葉にされていない価値観を理解すること、そうしようと努力することなのかなと。
すごーく大事な話を聞いたと思いました。
相手の見えている部分だけ、言葉や行動などの見えている部分だけ見ると、相手を批判したくなるそうです。
分かる気がします。
「はあっ⁉︎」とか「それ今する⁉︎」みたいなことする人いますよね。
私は元関西人なので、何か自分の思っていたことと違うことが起こると、
「なんでやねんっ」とか、「何考えてんねんっ」とかつぶやいてしまうのですが、
本当に「なんでなのか 」「何を考えてそうしたのか」は聞いてこなかったかなと。
もし本当に「何でそうしたのか」聞いたら、「あー、そういう前提やったらそうなるわな」となることが多いと想像します。
まあ、だからといって、それを全面的に受け入れ、相手を正しいとする必要はなく。
相手は相手の前提と考え(世界観)があり、自分の考えとは違うけれど、それはそれで相手の存在と相手の世界観が存在することは認められる気がします。
外国とのちがいとの話だと分かりやすいのですが、日本にずっと住んでいる日本人同士でも、まったく同じ世界観の人はいません。
家族だってそう。
むしろ、日本人同士だと同じ、家族だから同じ、と思ってしまいがちだからこそ、相手には相手の世界観があると思って接した方がいいのかなと。
自分が話をする時にも、可能な限り、自分の持っている前提などを言葉にして開示することをやっていきたいなと思いました。
何か相手を説得する必要があるときにも、自分と相手の世界観をつなぐものを見つけて、そこから話をしていくのもやってみたいです。
今年はそんなことを頭に置いて、過ごしていこうと思います。
お読みいただきありがとうございました(^-^)