『サピエンス全史』で有名なユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』を読みました(またまたAudebleで聞いたのですが)。
Audebleだとテキストがないので、あとからどこになにが書いてあったか見つけ出すのが至難の業です。
それで、聞きながらちょこちょこメモを取るので、それをまとめておこうと思います。
大きく2つ、とても印象に残りました。
(テキストがないため、引用は正確でないです┏○ペコ)
印象に残った話1
生き物のからだ自体が計算機である。(第二章 人新生)
生き物の感覚、情動は、生存と繁栄のためのアルゴリズムである。
「アルゴリズム」って、時々聞くけどよく分かっておらず、今もきちんと理解しているわけではありませんが💦
ネットなどで調べると、「パターン化された考え方」「問題を解決するための手順や計算方法」と説明されています。
これを当てはめると、「感覚や情動は、生存と繁栄の問題を解決するための手順や計算方法である」ということ。
痛いという感覚や怖いという感情は、生き残るためのアルゴリズム。
異性に魅力を感じるのは、繁栄のためのアルゴリズム。
人と情報交換して楽しかったり、自分が仲間外れになると不快になるのは、生き残りと繁栄のためのアルゴリズム。
本文中、「生き物は、お金を入れてボタンを押すと飲み物が出てくる自動販売機と同じ」というような言い方もされていました(^^;
自動販売機にお金を入れるところやボタンが設置されていて、お金を入れてボタンを押すと飲み物が出てくるように、
人間には感覚器や感情のボタンが設置されていて、食べ物を入れて感覚器や感情のボタンを押すと、人間の生存と繁栄が出てくる。
ボタンを設置したのは、今まで生きてきて身をもって学んでくれた幾多の人類、ということでしょうか。
自分が機械になったような未来的な感じもするし、太古からの人類すべてと繋がっているような不思議な感じもしました。
印象に残ったところ2
人間と動物を分けるものはなにか、なぜ人間がほかの生物を利用し(食べ物や家畜やペットとして)、他の生物に人間が使われるという関係ではないのか、という考察の部分。
人間が他の動物を支配できているのは、人間が柔軟に協力しあえるから。
蜂は互いに協力しあうが、人間のように女王蜂をギロチンにかけて革命をさけんだりしない。
協力すること、そして、それが柔軟に行われること
なぜ人間は柔軟に協力できるのか。
それは、共通の物語を信じていることで実現される。
共通の物語とは?
人間には、主観がある。
また、客観的事実というものがある。
人は、主観でないものは客観的事実だと思いがちだが、主観と客観的事実の間に、「共同主観」がある。
客観的事実は、それを信じていない人にも作用する。
重力が何か知らない赤ん坊にも重力は働くし、相対性理論が何か理解していない人にも等しく作用する。
科学って、こういうことなんですね。
共同主観は、その意味を知らない人には価値がない。
お金、神の教え、国家、そのコミュニティでの常識などなどなどなど。
そのはりめぐらされた共同主観によって、人間は、別の人から見たら苦痛でしかないようなことも喜びと感じたり、自分の利益にならないと思われることに対しても、身を削って働いたりする。
この「共同主観」というのが私にはすごく刺さりました。
共同主観が「はりめぐらされている」というのも、そのとおりだなと。
何層にもなった共同主観の中で生きている感じがします。
以前、講演で聞いた「世界観」というのは、「共同主観」のことなのかな、とつながりました。
めっちゃ個人的な話ですが、私が保護者会役員をやめようと思ったのも、役員の人たちの共同主観になじめなかった、なじみたくなかったからかなと納得できました。
まとめ
ということで、この本はホントは「人間とテクノロジーの関係はどうなっていくのか」というような、今後の世界に対するすごくおもしろい考察が繰り広げられていて、ハラリさん的には「紹介するところソコじゃない」感かもしれませんが、個人的に「この説明すごい!」と印象に残ったところをご紹介しました。
Audebleで聞き放題対象になっているので、ぜひどうぞ(*^^*)
おまけで印象に残ったこととして、最後に「謝辞」ってありますよね、あれが、すごくあたたかみがあって、聞いていてじんわり温かい気持ちになりました。
人の声で読み上げられているというのもあるんでしょうか、初めて「もうちょっと聞いていたい謝辞」というのに触れました。
ではでは。