HSC(ひといちばい敏感な子)の長女、小学2年生、「学校に行きたくない」からの保健室登校している話を書いています。
6月23日(木)
朝 校門で号泣
いつもは、朝、長女と学校へ歩いて行って、家に戻って夫と一緒に車で次女を幼稚園へ送っていくのですが、
今日は、夫が早く家を出ないといけないので、次女を自転車の後ろに乗せて、自転車を押して歩きながら長女と学校に行くことにしようと。
したところ…
長女、「次女ちゃん、歩かなくてズルい」
じっとり固まってしまいました。
いやいや。
あなたも幼稚園の時は小学校まで歩いたりしていなかったですよ。
小学2年生と幼稚園生で体の大きさも体力も違いますし。
次女はこのあと幼稚園行って走り回る体力残しときたいですし。
次女が歩くスピードに合わせてたらめっちゃ遅くなりますし。
「ズルいとかじゃないでしょう。毎日歩いて行ってるんだから、次女が自転車に乗っていようが関係ないでしょ。」と言いましたが、
長女、じっとりモード。
うーん、このへん、私は共感できません。
次女が「乗らないでいい。歩く。」と言って、私が自転車を押し、長女と次女が歩いて出発したのですが、
長女、ぶーたれてます。
じーっと黙って歩いて行って。
途中、仲良しのお友だちと会ったけど、機嫌はよくならず。
校門の前で止まってしまいました。
お友だちには先に行ってもらって、
「どうしたん?」
無言。
うーむ。
無言からの、しくしく泣き出し、「行きたくない」と動かない。
途中で門のところで登校の見守りをしていた校長先生が来てくれて、「行こうか」と誘ってくれると、号泣。
ヒックヒック言ってます。
泣き止まず。
校長先生が「きのうがんばりすぎたかな、保健室でゆっくりしようか。」
などといろいろ言ってくれて、やっと立ち上がりました。
家で着替えたりしている時点では、「給食は無理だけど、4時間目まで出て午後も出る」と言っていたのですが、
結局、「12時に迎えに来て、午後は出ずにそのまま帰る」ということになって、
泣きながら収容されていきました。
うーん、今日のは、「学校がいや」というより、「次女がいることにより、気持ちが不安定になった」感じ?
12時
どんな感じで出てくるかな?と気にしていましたが、
あら、元気に出てきました。
午前中、ずっと保健室にいた。
担任の先生から授業の課題のプリントをもらって、それは保健室でやった。
保健室で絵をかいてたら、保健の先生とサポートの先生に「すごくいい」って言われた。
と嬉しそうでした(^^;
先生方、ありがとうございます。
ズルいについて考えた
人のことを「ずるい」と言うのが嫌いです。
今日に限らず、うちの子供たち、ときどき言ってます。
「お姉ちゃんズルい」「次女ズルい」
私はこれがどうも苦手で。
「ズルいとかないでしょ」とちょっと冷たく言ってしまいます。
自分でも何でこの「ズルい」に冷たい反応しちゃうのかよく分からなかったので、今日は改めて考えてみました。
「ズルい=平等な扱いを求める」ということかな?
子どもたちが「ズルい」と言った場面を思い返してみると
・お姉ちゃんはおやつが残っていてズルい
たいがい次女の方がおやつを先に食べてしまい、ゆっくり食べる長女のおやつが残っているのを見て「ズルい」
・長女は/次女はお休みでズルい
小学校と幼稚園で長期休暇の始まる日や終わる日がちがうので、行かなきゃいけない方が休みの方に対してズルいと言う
・次女は抱っこしてもらえてズルい
長い距離歩くとき、次女が「もう歩けない」と訴えて、
さすがに次女にはしんどいかな、と抱っこすると、長女が「ズルい」と言う。
まあ、分からなくはないけど。
自分もそうしたいなという気持ちは出てくるだろうけど。
「ズルい」と言って、相手を攻撃するのが嫌なのかな。
自分は本来やるべきことをやればいいし、自分のやっていることを楽しめばいい。
おやつも自分の分を楽しんで食べればいい。
小学校も幼稚園も自分が行くべき日に行けばいい。
歩くのも、しんどいと言いながらも、いつも歩いている。
だけど、他の人をみてしまうと、自分が我慢しているのに、それを楽しそうに/楽にやっている人がいるのに気づく。
自分が我慢しているのだから、人も楽をしてはいけない。自分と同じように我慢したり苦しんだりしなくてはいけない。
そういうのが「ズルい」という言葉になっているのかなと。
不満に思うのは自由。
心の中のことだから、しかたない。
だけど「ずるい」という言葉を口に出して、人を攻撃する、引きずり降ろそうとするのが嫌なのかな。
あと、「ズルい」って、「自分は正しくて、相手が間違っている」って言っている感じがする。
自分は正しいことをしているのに、周りが自分を正当に扱わない、周りが自分を不利な立場に追いやっている、悪いのは自分ではない、周りだ、自分の不満は周りが作り出していて、周りが自分の不満を解決すべきだ。
「ズルい」と言った人は何もしなくてよくて、「誰かがこの差を解消すべきだ」「誰かがこの不公平を解消すべきだ」と言っている感じかな。
それが嫌なのかな。
「ズルい」という言葉の裏に隠れているのは、むき出しの願望な気がする。
自分の願望をそのまま口に出すのではなく、相手を攻撃することで願望を覆い隠している感じ。
もっと多く食べたい。
休んで楽をしたい。
歩きたくない、楽をしたい。
それを言うのがはばかられるからか、「ズルい」と言っているように思える。
「ズルい」と言うかわりに、「自分も疲れている、抱っこしてほしい。」
ならいいのかな。
可愛げがある気がする。
抱っこしてあげたくなっちゃうかもしれないし、
抱っこできなくても、「抱っこしてほしいよね。でもあとちょっとだから一緒にがんばって歩いて」とか言える気がする。
でも、「次女ズルい」と言われると、「あなたと次女は体力が違うでしょ」と言いたくなる。
「ズルい」は、前提条件を無視して、現状の平等を求めている感じ、かな。
うん、そんな気がする。
「ズルい」と言いたくなるときは、いっそのこと、むき出しの願望を口にしてしまえばいいんじゃないかな。
そしたら自分が何を求めてるかはっきり分かって、少しは気持ちが落ち着くかも。
少なくとも、人を攻撃するより、自分の願望を素直に口に出す方が健全な気がする。
今度「ズルい」に遭遇したら、そう言ってみようかな。
ではでは。