映画に引き続き、原作も読みました。
正確に言うと、Audibleですべて耳で聞きました。
全部で13時間ありましたが、家事のあいまや移動のあいまに2倍速ぐらいで聞いて、3日くらいで聞き終わりました。
本を手に持って読む余裕があまりないので、めちゃくちゃありがたいです。
これを聞いたのと、『昭和史 1926-1945』の該当部分を読んで、自分の中の整理としてメモを書いておきます。
終戦までの経緯
・ソ連からの返事を待っている間に広島に原爆が投下された。
・ポツダム宣言の受諾を前提とし、条件を付するか議論している最中に長崎に原爆が落とされた(8月9日午前11時2分)。
・ポツダム宣言に付する条件を1つ(天皇の国法上の地位を変更しないこと)とするか、4つ(武装解除、戦犯の処置などについても加える)とするかで外相と軍で意見が割れ、それぞれの賛成が3対3となり、内閣不一致となった。
鈴木首相は、御前会議を開き、その場で、天皇のご判断をお願いしたいと申し出た。
御前会議では天皇はふつう発言しないことになっているので、これは異例のこと。
軍部は心中カンカンだったが、天皇の前では言えなかった。
・8月12日夜、連合国側からの回答があった。
内容としては、簡単に言うと
「日本の今後の政治のかたちは、日本国民が自由な意思によってに選ぶ。
この「subject to」の訳し方をめぐって、外務省は「制限下におかれる」と訳したが、軍部は「隷属する」と訳し、そんなことは認められない、といきりたった。
・軍部は、天皇の地位が保証されるのか連合国に照会することを強く求めた。が、外務省は、「聞き直すことは、外交的には交渉の決裂を意味するのでできない」と突っぱねた。議論はおさまらず、このまま受諾するか否か閣議は一致しなかった。
(「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」という言葉はこの時に出ている。
また、「私が国民に呼びかけるのがよければいつでもマイクの前に立つ」と話された。)
(連合国側では、日本時間の8月14日夜が「勝利の日」とされている)
玉音盤は翌日まで侍従が保管することになった。
クーデター計画
・陸軍内部では、8月10日政府がポツダム宣言受諾に向けて動き出したあたりから、クーデターの計画が進行していた。
「クーデターによって鈴木内閣を倒し、軍部による内閣を作る。終戦などもってのほか。徹底抗戦する。」
・あきらめられない若手将校たちが14日午後から15日未明にかけて独自に計画を進めた。(畑中少佐、椎崎中佐が中心)
録音後、宮城事件、玉音放送
・8月15日午前0時、クーデター開始
録音が終わり、宮城(皇居)から帰ろうとしていた情報局総裁と日本放送協会の録音技師らを拘束。玉音盤のありかを問い詰めるなどし、放送会館の捜索が行われた。
・8月15日午前1時~2時
宮城を守る近衛師団長は、クーデターに加わることを求められたが、拒否したため、殺害された。
・8月15日午前4時~5時
師団長の死亡が発覚。命令がニセであることが分かり、東部軍参謀長が宮城内の畑中少佐に電話で反乱中止を求めた。
・8月15日午前5時10分
東部軍管区司令官が近衛師団司令部に到着。
宮城占拠命令を撤回し、暴動を収拾。
・宮城周辺にまだ反乱分子がいるかもしれないということで、玉音盤は、副盤をうやうやしく放送会館へ運び、正盤は雑嚢に入れてカモフラージュした上、第一生命館にもうけられた予備スタジオへ運搬された。
・8月15日午前5時30分
・8月15日午前11時20分
畑中少佐、椎崎中佐、宮城前広場で自決。
・8月15日正午
ラジオを通じて玉音放送が流された。
感じたこと・疑問
・ポツダム宣言の受諾は、当然のことではなかった。
・玉音放送も、当然のことではなかった。
・終戦への動きがなぜこんなに慎重ににならざるを得なかったか…軍人のクーデターを恐れたからというのが一因。
軍部を暴発させないように、終戦に導いていくのを任されたのが陸海大臣。
・天皇は、「私の任務は、祖先から受けついだ日本という国を子孫に伝えることである」「今となっては、一人でも多くの国民に生き残ってもらって、その人たちに将来ふたたび起ちあがってもらうほか道はない。」と発言した。
天皇は、いつから自分の任務をこのように考えていたのか。
・これに対し、軍は、自分たちの任務を「国体護持」と考えていた。
軍のこのミッションはいつできたものなのか。「国体」ってなんなのか。
・一部軍人にとって、一番大事なのは「国体」であり、「国体を守るためには、裕仁天皇という一天皇の間違った決断のために国体が脅かされることはまちがいであり、それは正されなくてはならない」とまで言っているような記述があったが、そのような考えはどういう風に出てきたのか。
・「狭い頭で考えても狭い結論しか出てこない。」と『日本のいちばん長い日』のどこかにあった。若い軍人たちがが軍人同士でしか意見交換できなかったことが悲しい。
日本のポツダム宣言受諾を受けて、この案は実行に移されなかった。
全然知らなかったことばかりでした。
学校でどうして教えられないんでしょうね。
引き続き「戦争について知る」やっていきたいと思います。
ではでは。