これを書いているのが2月25日なので、明日ですね。
参考にした資料
前回と同じように、まず映画を見ました。
映画やドラマのいいところは、登場人物を現代の俳優さんがやってくれるので、後で本を読んだりドキュメンタリーを見るときに、〇〇大尉、とか〇〇少佐、とか出てきたとき、「あーあの俳優さんがやってた役ね」というので、名前とその人の行動がだいぶつながりやすくなります。
さて、今回もまず映画『226』を見ました。
どこまで人物像が忠実なのかわかりませんが、歴史上の人を「ひとりひとりキャラクターを持った人」として見られるのがいいですね。
映画を見ながら横に置くのは、『地図と写真でみる半藤一利「昭和史1926-1945」』
人物関係や宮城周辺の地図、反乱部隊と鎮圧部隊の配置などが載っていて、参照しながら見ました。
それと、今回はNHKオンデマンドでいくつか見てみました。
事実関係
二・二六事件は、1936年(昭和11年)2月26日、陸軍の青年将校たちが「天皇と臣民の間に邪魔する存在があるのはまちがいである。天皇のそばにいる元老や重臣(君側の奸)を排し、天皇の親政を実現すること」をかかげて起こした。
五・一五事件と並べて述べられることが多いが、五・一五事件が参加者数名で行われたテロ行為であったのに対し、二・二六事件は、青年将校たちが自分の部隊を率いて行い、約1400名が関わった大規模なクーデター計画だった。
天皇は、これに対し、これらの部隊を反乱軍とみなし、すみやかに鎮圧するように命じた。
海軍幹部にも、「海軍内から同調するものが出ないように」と求めた。
海軍は、陸上戦闘部隊を派遣し、反乱軍との戦闘に備えるとともに、戦艦を東京湾に派遣し、反乱軍占拠地に照準を合わせるなどして待機していた。
東京で日本軍同士の市街戦の可能性が高まり、周辺住民一万人余りが避難した。
2月29日、反乱軍は投降し、命令に従っただけの一般の兵士たちは原隊へ帰った。
感じたことなど
また、終戦のときもそうだったことを前に知りました。
私が感じたのは、このふたつのときこそ、昭和天皇がはっきりと強い意思を示し、リーダーシップをとった場面だったのではと思いました。
まだ理解が浅く、昭和天皇が戦争の各場面でどのような意思決定をしてきたのか分かりませんが、この二つの場面において、他の者に左右されることなく「自分の考えで自分で決めた(もしかしたら、このふたつだけは自分で決めた)」ということが心に残っておられたのかもしれないな、と思ったのでした。
おわり