うちの子どもたち、エレクトーンを習っています。
エレクトーンの練習から、アドラー心理学「課題の分離」について考えてみました。
今週末、コンクールがあります
小2長女と年長次女、昨年11月からエレクトーンを習っています。
長女、今週の末にコンクールがあって、それに向けて毎日練習しています。
コンクールは初めてで、賞を狙うとかそういうのではなく、先生からも「楽しく弾いてこようね」と言われています。
コンクール用の曲は、2月ごろから練習を始めました。
そのころ毎週の練習でやっていたのは、16小節くらいで終わる曲で、和音も2種類ぐらいしか出てこない曲。
最初に先生に「6月に向けて、この曲を練習しましょう」と弾いてもらった時、めちゃくちゃ長い(4分弱ある)し!転調するし!足のペダル使って弾いているし!
「こんな曲本当に弾けるようになるのかっ!?先生、まじですか。」と戦慄を覚えました。
エレクトーンてこんなの
エレクトーン、どんなのかご存じでしょうか。
私、習わせるまでよく知らなかったのですが、
ボタンがいっぱいついていて、
上鍵盤と下鍵盤が分かれている。
さらに、足で弾くペダルがあります。
ペダルもピアノみたいに3つとかではなく、鍵盤が付いていて、左足でベースパートを弾く足鍵盤と右足で音量を調節するペダルがある。
そんなことになっていたのか!
知らなかったよ!
イメージわきにくいという方は、Youtube見てみてください。
826askaさんという方のです。
長女の練習を見ていると
毎週レッスンがあって、先生との約束で、「毎日練習する、練習内容は自分で決める」ということになっています。
最初のころは、もちろんメロディーだけ弾くのも一苦労で、毎日練習して、
右手だけ弾けるようになり、
左手だけ弾けるようになり、
右手と左手合わせて弾けるようになり、
ペダルを足で弾けるようになり、
さらにペダルを見ないで両手と合わせて弾けるようになり、
さらに右足の音量調節で強弱の表現もできるようになり。
なんと、弾けるようになるんですね。
けっこう感動です。
が、
ひととおり弾けるようになると、長女、練習がなんだかぼんやりモード。
2回通して弾いておしまい、とか。
長女、「完璧に弾けなくて悔しい」というのは、あんまりないのかな。
弾き終わって、「どうだった?」と聞くと、ニコッと笑って「よかった。」
いやいや。
ミスタッチしてるし、足も大事なとこ踏み間違えてるし。
先生が言ってた表現のところ、もうちょっと意識したほうがいいんじゃない?
と、こちらは言いたいところがたくさん。
私のイメージでは、「ここができなくて悔しい」とか言って、何度もそこを練習したり、先生が言っていたことを思い出して、納得するまで練習する、という…
だけど、長女、
「2回通して弾く」というのを達成して、満足している様子。
私が「すごくいいけど、ここ、もう一回やって」「ここの間を取るとこが、もうちょっとほしい」など言うと、
エレクトーンに突っ伏して動かなくなってしまったり。
うーん。
なんかうまくいってない。
あるとき、ふと思いまして。
長女が満足しているのに、私はなんでそれをぶち壊しているんだろう。
練習はやっている。
毎日やっている。
私の思うようなやり方じゃないかもしれないけど、長女は自分の練習に満足している。
先生とのレッスンは楽しいみたいで、先生の言うことを聞いて弾き直したりちゃんとできてる。
前よりすごく上手になっている。
確実にめちゃくちゃ上手になっている。
あれ、それでいいのか?
何がだめなんだ?
長女がエレクトーンの練習の時に「聞いてて」と言うので、一生懸命聞いて、できていないところを見つけて指摘して。
あれ、「聞いてて」って言われただけで、「できていないところ指摘して」とは言われてないのか。
先生から「もっと練習させてください」と言われたわけでもない。
人のまちがいを指摘するのが苦手なのに、がんばってやってたけど、
これ、私が勝手に大変になってるだけか。
「課題の分離」ってなんぞや
アドラー心理学で「課題の分離」という考え方があります。
「課題の分離」の考え方は、アドラー心理学のオリジナルの考え方ではないそうですが、現代のアドラー心理学において、大切な要素の一つです。
簡単に説明すると、「課題の分離」とは、今、目の前で起こっている問題は、誰が主体的に解決するべき課題なのか、「自分の課題」なのか、それとも「相手(他者)の課題」なのかを考えること、つまり「自分の課題」と「相手(他者)の課題」とに分けて考えることです。
対人関係上、複数人が関わる場面で、こじれてうまく解決しない問題は、この「課題の分離」がうまくできていないことで生じている可能性があります。
エレクトーン練習における「課題の分離」
この「課題の分離」の考え方を、エレクトーンの練習に当てはめてみました。
長女
長女の課題は、エレクトーンを続けたい、コンクールに出たいと言っている以上、先生との約束を守るのが長女の課題かな。
「毎日練習をする。自分で練習することを考える」。
エレクトーンの先生
先生の課題は、長女に技術的な指導をしたり、情感豊かに弾けるように指導をしたり、コンクールで良い評価をもらえるように指導するのが先生の課題。
じゃあ親の私は?
エレクトーンのレッスンのお金を払う。
レッスンに連れていく。
諸々の手続きをする。
小学校低学年の習い事に関わる親の課題って、こんな感じでしょうか。
エレクトーンを上手に弾かせる、というのは私の課題じゃないんだな。
長女、習い事はエレクトーンの他にテニスと教室造形教室に行っていますが、どちらも宿題はないし、先生が指導しているところも見ていない。
たまたま、エレクトーンは毎回一緒にレッスンに入るので、先生の指導を聞いていて、長女が毎日家で弾いていて、先生の指導と長女の状態が合っていないのが見えて、だから指摘したくなるんでしょうか。
エレクトーンの宿題も、やるかやらないかは子供の課題であって、それに親が干渉するときは、親と子供の共通の課題にするという子供との合意があってから。
子供に「宿題やったのか」と確認したり、「いつやるのか」と確認していいか合意してから。
先生から親に「宿題をやらせてください」「ここがちゃんと弾けているか確認してください」と言われたら、それは親の課題になりますね。(次女の幼児課のレッスンでは言われることがある)
楽になった
長女が先生の言っていたとおり弾けていなくても、「これは私の課題ではない」と思ってから、とても楽になりました。
たまに長女が「なにか気になったとこあった?」と聞いてきたときは、感想を伝えています。
そうでなければ、長女が練習しているのを「ふんふん」と聞いて、どうだった?と長女の感想を聞いて、長女がよければそれでOKとしています。
ということで、長女は今朝も練習をゆるくがんばっていました。
ではでは。