HSC(人いちばい敏感な子)の長女、小学2年生、「学校行きたくない」からの保健室登校している話を書いています。
11月17日(木)
朝
今日も元気ポーズをして出発。
今日は、いつも6時間のところ、学校の都合で4時間で終わるので、なんだか気楽なムードです。
6時間であろうと4時間だろうと、だいたい給食の前に帰るのに、やっぱり気持ちがちがうのでしょうかね。
お昼
少し遅めに出てきました。
クラスの写真を撮っていたそう。
あしたは空から航空写真を撮るみたいです。学校の周年行事があるのか?
家で学校のサイトを見てみましたが、よく分からず。
まあいいか。
学校たのしい表
規定コマ数 6
目標コマ数 4
参加コマ数 4 ➡ごほうびゲット
【楽しかったこと】
音楽でお祭りのリズムを叩くのが楽しかった。
自分でパーツを組み合わせてフレーズを作るのをやった。
家でもやってみせてくれました。確かに楽しそう。
こういうのは家で思いつかないし、ほかの人のを聞くのがいいんだろうなと思う。
家だけじゃ学校の代替になるのは難しいよな、とか思ってしまう。
フリースクールは音楽とかあるのかな。
【ラッキーだったこと】
授業の時間が写真撮影になってラッキーだった。
11月18日(金)
朝
航空写真が一時間目からなので、早く行こう、とサクッと出発。
今日も給食の前までの予定。
なかなか給食は食べないですね。
給食の内容は去年と変わっているわけではない。やっぱり環境ということなのかな?安心感を持てていない?
あとは、食べないことがデフォルトになってしまったのもある。
掃除が縦割りになって、午後の授業も行きにくくなった。
なんだか給食の前で帰るのが安定しているけど、これでいいのかどうなのか。
いいような気もするし、時々、これでいいのかなあという気もする。
お昼
平和に出てきました。
学校たのしい表
規定コマ数 6
目標コマ数 4
参加コマ数 4 ➡ごほうびゲット
【楽しかったこと】
写真を撮るのが楽しかった。校章の花の部分のをやったらしい。カラーポリ袋を着たんだとか。
ほー。私も小学校の時、周年行事で航空写真を撮った気がしますが、そんな衣装的なものはなかったな。
【ラッキーだったこと】
帰りに保健室に行ったら保健の先生がいて、話ができてラッキーだった。
考えたこと
授業にがんばって出なくなったのは、私のがんばる気持ちが少し減ったのもあるかな。
授業参観を見てから、先生の用意した答えに合わせる授業を受け続けることに不安を感じ始めてしまった。
今の担任の先生が特に悪い先生だと言うつもりはなくて、日本の教室で行なわれている標準的な授業で、その中で「先生の用意した正解を言わせたい」のが少し分かりやすい先生だと思う。
そのあとの保護者懇談会で、みんな「ちょっとだけちがうけどほぼほぼ同じ趣旨の意見」を言うのを聞いて、さっきの授業とリンクして、「日本の一般的な授業を受けてると、こうなってしまうのかも…」とちょっと恐怖を覚えた。
私も、そういう場で人と違う意見を言うときは、すごくドキドキする。
人と違うことを言うのって、そんなにドキドキしなきゃいけないことなんだっけ?と改めて思う。
それから、人と違う意見を出すのは怖いけど、まったく同じことを言うのもダメな気がして、すごく細かく違いを出したりする。
なんか、「細かいマイナーチェンジばかりして、イノベーションが起こせない日本」の縮図みたい、などと考えてしまった。
あと、昨年度幼稚園の保護者会役員で、保護者からの意見を取りまとめて、おたよりを出そうとしていたときのことを思い出した。
「幼稚園の先生がやめてほしいと言うっている」と聞いたとたん、みんながあっという間に自分の意見を翻して、「やっぱりやめましょう」と取りやめになった。
「先生の言うことは絶対。先生は上、自分たちは下。自分たちは考えが足りていなかった。」というような雰囲気。
反対意見を言ったけど、多数決で負けた。
そのときも、「なんだこれ、怖い」と思った。
もちろん日本の教育はいいところもあるのはすごく分かる。日本人は礼儀正しい。災害が起きても略奪が起きない。
先生たちが過酷な環境の中、まじめにがんばってくださっているのも分かる。
だけど、
人と一緒じゃないと不安。誰か強い人が「こう」と言えばそちらになびく。
正解か不正解しかない。自分で考えることが本当に少ない。
「きちんとしていること」にものすごく神経を使う。
「日本の一般的な教育を受け続けるリスク」みたいなのに、今過敏になってしまっています。